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前回のTシャツから3か月が経過してしまいましたが、
とりあえず元気にしています。

ハワイアンジュエリー制作は、金属に対してひたすら彫りを入れていく、
云わば「修行」の作業の繰り返しであり、
私が学んでいる教室のコースは、全ての彫りの課題を終了した上で、
初めて作品制作に入るカリキュラムなので、
恐らく今後1年間は作品の実制作は無い、と思って頂いて間違いなかろう、
と覚悟しています。
彫った金属板を披露するだけで果たして良いのか?という自問自答を
している段階なので、取り敢えず「見せても恥ずかしくない」レベルになったら
アップしようと思います。

休日は海岸沿いでカイトを揚げる趣味を持っているのですが、
スニーカーでは足元が寒いので、東京・御徒町のミリタリーショップで
軍用ブーツを買ってきました。



a-850-b1.gif

側面はこんな感じ。

a-850-b3.gif

後ろから見たところ。

ニューヨーク市警のSWAT部隊で支給されているものらしく、
革製ではないものの、ガッチリと足首がロックされ、且つ防寒機能が高い一品。

靴擦れは生じてはいませんが、まだ新品なので、休日に履き慣らしています。

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深夜アニメ「氷菓」のグッズとして、ネットで見つけたTシャツ。
Amazonで発見し、気づいていたら衝動的に「ワンクリックで買う」ボタンを押していました。


正面から見たところ。



後ろから見たところ。

76933.jpg

正面イラストのアップ。

76934.jpg

後ろのイラストのアップ。

76935.jpg

( ゚д゚) ・・・
 
(つд⊂)ゴシゴシ
 
(;゚д゚) ・・・
 
(つд⊂)ゴシゴシゴシ
  _, ._
(;゚ Д゚) …!?

着て出歩けない・・・どうしよう

東京で最も有名な火葬場の一つである「落合斎場」は私の自宅から徒歩で行けるほどの距離です。
嘗ては告別式で高額な費用をかける傾向にありましたが、最近は家族葬、友人葬といった方法を取り、密葬とはいかないまでも、参列者は必要最小限に留めて費用を抑える傾向にあるようです。
通常、斎場では参列者のためにお座敷を借りて、火葬の待ち時間をそこで費やすのですが、
参列者を10名前後に抑えてしまえば、お座敷を借りず、ロビーでの時間待ちに留める事が出来、
費用を抑える事が出来ます。
更に今回初めての事なのですが、創価学会絡みの葬儀となるので、僧侶を呼ばず、学会員だけで
御題目を唱えるという方式をとる事となりました。
御題目とは「南無妙法蓮華経」の七文字を言い、これを長時間唱えるのです。

斎場での告別式を済ませ、弟の遺骨を持って帰宅後、自宅で告別式を行うことになりました。
僧侶代わりに東京都足立区綾瀬地区の支部長が務めて下さり、法華経の第2章「方便品
(ほうべんぽん)」、第16章「如来壽量品(にょらいじゅりょうほん)」を参列者全員で
唱える事になりました。
とはいえ、私には今まで法華経は全く無縁だった為、何の事かさっぱり判らず、小声で御題目を
ぶつぶつ唱えるのみ。。。

支部長さんがこのように仰いました。「今回弟さんは短命で亡くなりましたが、『宿命転換』により、
その宿命を身を以て断ち切ったのです。お兄様は短命という事はあり得ませんので、御安心下さい」と。

何のことか当時の私には判らなかったのですが、日蓮宗の開祖、日蓮大聖人が御弟子さんに託した手紙(これを『御書』というのですが)の中に、「佐渡御書」という章があり、
「過去世の行為が因となり現世の結果となって現れる。これを因果応報というが、法華経を信じ、守り、弘めていく、という実践によって今世のうちに転換していくのが、『宿命転換』である」のだそうです。
弟は亡くなる直前の2年間で法華経を信じ、念じてきたので、短命という宿命を転換した、というのがその趣旨のようです。

・・・本当かよ、とは思いましたが、素直に信じる事にしました。

7か月経った今も、弟の遺骨は仏間にあり、私はそこで寝起きし、朝晩は法華経を唱え、1日のうち、最低1時間は御題目を繰り返し唱える生活を送っています。
(よく四十九日や百箇日目に納骨するものだ、という通説がありますが、実際には決まりはありません。十三周忌を迎えてから納骨する家庭もあります)
浄土真宗の宗派だった頃は信心を怠っていたものですが、まさか自分がこんなに宗教心厚い人間だったとは驚いていますが。。。

この話は今回で終わりに致しますが、この時期に弟へのオマージュの意味で考えていたアクセサリーのデザインがあります。
次回はいよいよその作品を紹介したく思います。
もう弟が他界して7か月近く経つんですね。。。

前回の記事の後、仕事が多忙だったのもあり、また気持ちの整理をつける意味もあり、
1か月意識して空けてしまいました。

11/3に葛飾警察署に弟の遺留品を受け取りに行った際、弟が生前暮らしていた足立区のマンションの鍵を
担当の係長さんから受け取りました。
本当はそのまま帰宅するつもりだったのですが、鍵を渡され、係長さんから
「弟さんの生前暮らしていたマンションを御覧になってみては?」
と言われたので、初めて足立区の綾瀬という地に降り立ちました。
警察署の係長さんから拡大地図をコピーしてもらったのですが、結構複雑な地形で、いつまでたっても
目的地に辿り着けず、弟が生前お世話になっていた御夫婦に電話したところ、これからお会いする事になりました。
綾瀬駅で待ち合わせし、物静かそうな御主人と、やたら気の強そうな奥様にお会いし、互いに挨拶を交わし、
弟のマンションに行く事になりました。

マンションの中はテレビは着けっ放し。ゴミは散乱しまくり。
奥様は元は整体師だったのだそうで、弟に貸し出したマッサージ器を返却してほしい、との事でした。
そして「御本尊様」と呼ばれる掛け軸をやたら気にかけていて
「これは何が何でも返却しなくてはならないんです!」
と言われてしまいました。

「御本尊様」返却が無事済んだので、御夫妻の住居に伺うことになりました。
ワンルームの御自宅なのですが、その一角にやたら豪華な仏壇が安置されていました。
そういえば創価学会だったっけ。。。
それから3時間ばかりお話ししました。
8年前に綾瀬に現れたこと。その頃から居候する事となり、御夫婦が朝晩の法華経の勤行を行っている姿を見て、
最初は逃げ出したものの、亡くなる2年前から自分から率先して創価学会に入会したこと。
交通事故で膝にボルトを埋め込むこととなって、福祉生活を受けるようになれば医療費がかからない、
ということを知り、その為に「自分の身内は全て他界した」と嘘をつかざるを得なかったこと。
夜学の高校を30歳過ぎてから受験し、一番苦手だったはずの理数系が最も得意科目になったこと等。

話を聞かされるうち、弟は何の為に生まれてきたのか?何か生きがいはあったのだろうか?
何か趣味はあったのだろうか?
と次々に疑問が浮かんできました。
弟の死因は「心肥大」という異常に心臓が肥大化したことによるショック死だったので、スポーツは一切ダメ。
風呂も3分以上入っていると心臓に負担がかかるので、極力風呂は入らないようにしていたのだそうです。

幼い頃は私の真似ばかりしては、常に二番煎じ。父親似の顔をしていたので目は垂れ目。
大相撲の白鵬みたいな顔立ちを
しています。いつ頃からか、目鼻立ちの割とはっきりした母親似の私に対し、物凄い嫉妬心を抱いていたことを、
聞かされました。

そんな弟が自分から率先して温泉に行きたいと約束していた日がありました。
それが偶然にも11/3の今日だったのです。
「もし宜しかったら弟さんの代わりに一緒に温泉に行きませんか?」というお誘いを断る理由もなく、
何故か埼玉県三郷市の温泉に行く事になりました。

そしてこの日、「弟の2年間行ってきたことの証、というか気持ちを無にするわけにはいかないし、
弟の遺志を継いで学会員になっても良いですよ」と言ってしまったのです。

火葬は11/7(日)に執り行われることになりました。
(続く)
警察というところが本当に「縦割り社会のお役所体質」だと、今回痛感しました。。。

11/2の朝9時過ぎに弟の遺体を取り調べた亀有警察署に電話をしました。
弟は足立区綾瀬1丁目と2丁目の間に突き出た「葛飾区小菅4丁目」の路上で倒れました。
・・・小菅とは、あの「死刑囚・宮崎勤」や「元俳優・押尾学」、「ホリエモン」等が収容されていた
「東京拘置所」が所在する町名です。

「弟さんは現在、大塚の監察医務院に安置されています。遺体はまだ解剖されていないと思いますので、
解剖前にお引き取りされるか、解剖に立ち会われるかは監察医務院にて御問い合わせ下さい。
お引き取りされる際は、死体検案書と共に火葬許可書が必要となります。
現在担当の者は夜番でもう帰宅してしまっていますので、警察に出署しましたら書類を取り寄せます」

弟と9年ぶりの再会を果たしたのは、東京都文京区にある「大塚監察医務院」だったのですが、
自殺死体、殺害死体や、身元不明の変死体、そして病院に搬送される途中の救急車内で亡くなったり、
病院で手術後でも1時間を経過していない場合、遺体は病院預かりではなく、監察医務院送りとなります。

つまり病院で手術を行ってカルテを記述しない限り、「うちらは責任持ちませんよ、遺体は警察で引き取って下さい」
・・・と悪い言い方をすると、そうなるわけです。

監察医務院に送られると、遅くとも一両日以内に遺体解剖されます。死因を明らかにする為なのですが、
よくテレビの刑事ものドラマでしか見られず、私には一生無縁の出来事を体験する羽目になりました。

11/2の朝に警察に電話したのですが、遺体は既に10/31に済んでいました。。。
葬儀屋さんが昼過ぎに自宅近くにいらしたので、葬儀屋さんと相談の上、亀有警察署に電話しました。
亀有警察署に出向いてから大塚監察医務院に出向くのは時間がかかるので、直接書類を医務院に届けて下さい、と。

葬儀屋さんは手回しよく、既に棺を車内に用意していました。弟は身長183センチ、体重90キロを超える巨漢なのですが、
それでも十分に入る特大サイズを用意して下さいました。
そして大塚監察医務院に行ったのですが、監察医務院の受付の態度が非常に冷たく、
「書類がないとお引き取りできません」の一点張り。
亀有警察署に電話を何度も繰り返ししましたが、「担当が捕まらないので書類を届けられない」
「担当の人が書類をどこにおいているのか判らない」等、のらりくらりとした返答が返ってくるばかり。
すぐに遺体を引き取れると思っていた葬儀屋さんも困った表情で、「とりあえず棺を車内から出して準備だけしましょうか?」
とは言って下さいましたが。。。

そして準備した棺を見た瞬間、監察医務院の人間が、皆何故か蒼ざめて、
監察医務院の一番偉い人が「とにかく早くお引き取りする手配を進めて!書類が今なくてもFAXで構わないので
遺体検案書を取り寄せて下さい!」と叫び始めました。

・・・何故?

亀有警察署に電話したら「FAXの使い方が判らない」とまで言う始末。信じられん。。。
監察医務院の一番偉い人が亀有警察署の職員を一喝し、FAXが送られてきました(使い方知っているじゃん!)

実は、棺が今まで見たことのないビロード製の最高級のものだったそうで、それを見た監察医務院の職員が
「こんな棺、代議士の息子クラスでないと使われない。こんなところでグズグズしていたら、どうなるか
判らない」とでも誤解したらしく(私は代議士でも何でもございません)、そういう方向になったのです。

これは物凄い偶然なのですが、葬儀屋さんの所有する棺が当時、その最高級の代物しか残っていなく、
時間の猶予もなかったので、その棺を使用したのでした。

友人葬という言葉を初めて知ったのですが、火葬を格安で行う方法らしく、立ち会う人数を10名以下に抑え、
部屋を取らないで行う方法だそうで、これを行えるのは1日に1回のみ、という限定の方法なのだそうです。

もう秋でしたので、すぐに火葬を行わなくてもドライアイスで遺体がもつ、という事から
遺体引き取りを行って火葬は7日(日)に行うことになりました。

ただこの時、久しぶりに弟に再会しましたが、私には悲しみは一切なく、あるのは憎しみだけでした。
「借金ばかり繰り返し、色々な人に迷惑をかけて、その最期がこれか!誰がお前のために涙なんか流すか!」と。

とりあえず11/3に弟の遺留品と火葬許可書を受け取りに亀有警察署に行くことになったのですが、
この日が私にとって人生を一変させる日となったのです。
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プロフィール

刻

Author:刻
平日はコンピュータ会社に勤務しつつ、休日になるとアクセサリー教室に通う、表の顔と裏の顔を持つ、東京都中野区在住の銀細工師の日記です。

2010年9月から通っていたアクセサリー教室の「ジュエリーCAD」コースが2012年8月にて無事卒業。9月より「ハワイアンジュエリー」を勉強する事になりました。

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